カウンセリングの感想

20代  男性

田中先生、こんにちは。

先生の仰られる通り、高校の頃からですが、誰かに「自分を理解して欲しい。」という漠然とした気持ちがずっとありました。

だからずっと「寂しい感覚」にとらわれていたのだと思います。

そしていつしか「自分のことをわかってくれる人は誰もいない。」と思い込んでしまったのだと思います。

いじめがあったことは中学になるまで両親に話したことはほとんどありませんでした。

辛い気持ちも悲しい気持ちも自分の胸一つに収めていたと思います。

それは「やり返したら負け。」「いじめる側の心が貧しいのだから相手にするな。」などと言われていたからかもしれません。

先生のご指摘の通り、色々な事で両親にはもっと自分を認めて欲しい、私の気持ちを理解して欲しいと思うことが多くあったように思います。

悩み事を相談しても、自分自身わかっている結論を先に言われていたような気がします。

結論が欲しいのではなくて気持ちを理解して欲しかったように思います。

母は私が小さい頃よく泣いていることがあり、母に遠慮する気持ちも自分にはあったように思います。

「一人で頑張ってきた。」と言われると確かにそうかも知れません。

ずっと「辛いから助けて。」と言わずに生きて来たような気がします。

「助けて欲しい。」という気持ちをずっと抑えてきたのだと思います。

自分が今欲しいものはひょっとしたら、「自分の情けない姿を晒しても受け止めてくれる誰か」「大丈夫、大丈夫」と言ってくれる誰かのようなきがします。

「周りの人たちは実は自分のことが嫌いなのではないか?」という根拠のない観念がずっとあって特に面識のない人となるとこの気持ちが顕著に出てしまいます。

だから私が「知らないことを聞いたら、不機嫌になるのではないか?」とか、相手のちょっとした仕草や語気が少しでも攻撃的な印象があると「この人は私のことが嫌いなんだ。」と思ってしまう所があります。

その結果として「やる前から何でも知っていなくてはならない」「ミスは絶対してはいけない」という強迫観念のようなのもが出来てしまっていて、自分の行動を制約しているのかなと思いました。

自分を守ろうとする頑張りから開放されたとき「知らないこと」が私にとって「悪いこと」で無くなって行くという先生のご指摘は多分そんな感じのことなのではないかと思っています。

心の中の全てのこと、現在の自分の置かれている状況が解決されたわけではありませんが少し気持ちにゆとりが出来た気がします。

「もう駄目だ。自分にはもう幸せな将来なんて無くて惨めな人生がずっと続くんだ・・・。」と思ったていたとき偶然に田中先生のHPに行き着いたことを嬉しく思っています。

また相談することもあるかと思います。

その時はよろしくお願いします。 ありがとうございました。