もう一つの、宇宙の始まり方

現在は、「 小さなところから宇宙は始まった」というものが定説になっています。

 

昔は、無限に小さいものがビッグ・バンによって膨張し始めて、その延長線上で、宇宙は現在の大きさになったと考えられていたと思います。

 

最近は、ビッグ・バンの前に、インフレーションという現象が生じたといわれています。

 

これは「宇宙の始まりは、無限に小さい点である必要はない」と理解できると思いました。

そこで、「大きなところからの宇宙のはじまり」を考えてみました。

 

詳しくは、 銀河や宇宙の始まりに関する妄想 | 科学的なことを想う で!

偽善社会

昔から、「偽善」、もしくは、「偽善者」という言葉に、違和感を感じていました。

 

インターネットに公開されている辞典で「偽善」を調べてみると、次のような説明が見つかりました。

うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、そういう行為。
偽善に満ちた社会」⇔偽悪。
ぎぜんしゃ【偽善者】 偽善を行う人。

ぎぜん【偽善】の意味 – 国語辞書 – goo辞書

今回の投稿では、この言葉について詳しく考えてみたいと思います。

 

※ただし、「マスコミや慈善団体が行うチャリティ・イベントなどが偽善かどうか?」といったことは、少し毛色が違うと感じますので、今回の考察からは除外します。

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世界を良くする画期的な考え方

人は、元来、わがままな存在です。

「他人を思いやることが大切」と口で言ったり、実際に、心でそう信じていたとしても、いざとなると、やっぱり、「一番優先されるのは自分自身」ということは否定できないと思います。

 

今回の投稿は、それが悪いことだと主張しようとしているのではありません。

自己犠牲的な行動にこだわるよりも、自分を優先して行動するのは、ごく自然なことだと思っています。

 

しかし、今のままにしていたのでは、

  • 自分の利益のために「自分の考えを押し通す力が強い人」、「自分の考えを実現する力が強い人」の暮らしだけが豊かになる

という社会の傾向が、ますます強くなるような気がします。

 

また、個々の利益を追求する活動の影響は、人間社会にとどまらず、自然を破壊し、かけがいのない地球を生き物が住めない状態にしてしまう恐れさえあると思います。

 

このような流れに、どうしたら歯止めをかけられるのでしょう?

そんなことを、少し考えてみたいと思います。

 

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なぜ、「始まりがあるものには、すべて終わりがある」のか?・・・まだまだ、迷いの中です

「始まりがあるものには、すべて終わりがある」、これは、みんなが知っている言葉だと思います。

まだ、考えがまとまっていないのですが、これについて少し書いてみます。

 

「始まりがあるものには、すべて終わりがある」、このことについて考えるとき、多くの人は、たぶん『終わり』の方に意識が向かうのではないかと思います。

そして、「どうして、始まったのか?」ではなく、「どうして、終わるのか?」という「存在していることを前提とした問い」を考え始めます。

 

先日、ふと、あるアイディアが浮かびました。

  • 「始まり」を創るために「終わり」を創った

こんな見方もできるのではないでしょうか?

 

このように表現すると、何らかの意思が働いていることになります。

意思を排除した表現にすると、どうなるのでしょう?

  • 「始まり」と「終わり」が分かれた

 

「始まり」と「終わり」が分かれたことによって、「途中」が生まれます。

その「途中」が、私たちにとっての「現実」の正体なのかもしれません。

「始まり」と「終わり」の差のことを、私たちは「時間」と呼んでいると理解することもできそうです。

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評論家的な視点に陥っていませんか?

人には、色々な事情があります。

なのに、メディアやテレビの中の人たちは、問題として取り上げやすい何かが起こったとき、それに至った事情を理解しようとはせずに、ただ「表面化した現象・状態」を「最終的な現象・状態」として捉え、その現象・状態だけを見て、あれこれと好き勝手なことを言って批判します。

そんなメディアの情報ばかりにさらされていると、私たちは、自分で感じ考えることなく、メディアから垂れ流される偏った考えを、自分の考えであるかのように錯覚してしまうようになるのです。

私たちは、人間らしい(自分らしい)ものの見方ができなくなっていくのです。 (さらに…)