悩み

何でもそうなのですが、ある似通った事象に名詞をつけてしまうと、そういうものが実在するかのような錯覚をに陥ってしまうところがあります。 悩みという言葉も同様です。 悩みという言葉を使うことで、それがあたかも存在するかのように錯覚してしまうと、実際には存在しないものを解決しようとすることになります。 考えれば考えるほど、訳が分からなくなり、解決できないような気持ちにさせられてしまうのは、当然のことなのです。 そこで、『悩み』という言葉を別の言葉で置き換えて説明します。

『考えること』と『悩むこと』

『考えること』を『悩む』と表現することがあります。 このことについて、少し説明ます。 人は、基本的に次の流れを経て、一つの思いを完結すると考えられます。
  1. 何かを感じ
  2. 考え
  3. 行動する
もし、その結果、新たな刺激を受けて自分の中に新たな思いが生じれば、同様のステップを繰り返し、思いが完結した時点で、その繰り返しは終結することになります。 つまり、何かを考える時、その目的は、行動することです。 そして、行動し、思いが完結してはじめて、人はこの一連の流れの中の考えるというステップから解放されるのです。 解放されるものであれば、『考える』ということを『悩む』といった特別な表現をする必要はありません。 しかし、何らかの理由で考えたことを行動に移すことができないと、思いを完結させられないので、考えるというステップから抜け出せなくなってしまいます。 この状態を悩み、或いは、悩んでいると呼ぶのだと考えています。 ですから、悩みから抜け出せないと思っているときは、まず、考えたことを行動に移せなくて困っている可能性を疑ってみる必要があります。 そこで、すべきことは、考えたことを行動に移せない自分自身の気持ちを理解することです。 そこには、必ず、「それができなくなるのは当然だ」と思える事情があります。 その取り組み方については、また、別に説明します。

『感じること』と『悩むこと』

『考える』とは別に、心が苦しいとか、つらいと感じていることを、『悩んでいる』と表現することがあります。 人は、心に何らかの刺激を感じると、何かを考え始めます。 普通は、その刺激を軽減させる方法を考えるような前節で説明したステップを経て、行動に至り一連の流れは終結します。 自分の感情や感覚と向き合うときは、次の大原則を肝に銘じておかなければ、殆どの場合、自分が自分自身を苦しみのどん底へと陥れてしまうことになります。 これは、100%に近い確率はあるのではないかと思っていますので、憶えておいて下さい。
自分に生じる感情や感覚は、それが如何なるものであっても、全く妥当な感情や感覚である。従って、それを疑う必要もなければ、責める必要も無い。
簡単に書くと、苦しいと感じているときに「苦しく感じるのは自分の心の問題だ」と考えたり、他人を羨ましいと思ったときに、「羨ましく思う自分の心は何ていやらしいんだ」と考えると、自分の心を苦しめる事になるということです。 自分が苦しいと感じていることを肯定するから、自分の心を楽にするという解決の方向性が見えてきます。 もし、苦しさを否定すると、今の自分のスタンスが定まらないので、解決の方向性も全くわからなくなるのは当たり前のことなのです。 このことを理解しないで、考えるというステップに進むと、その目的が『行動し思いを完結させる』ということではないので、考えのステップから抜け出せなくなるのは当然のことなのです。

まとめ

『悩んでいる』と考える時は、まず、
  • 心が苦しいのか?
  • 考えを行動に移せないのか?
ということをチェックして下さい。
  • もし、心が苦しいということなら、心を楽にする方法を考えようとして下さい
  • もし、行動に移せなくて困っているということなら、行動に移す方法を考えようとして下さい
  • そして、もし、考えた方法が精神論的な対処だったとしたら、別の方法を考えて下さい