06 実体と感覚の分離

6-1 実体と感覚の分離

ここで、もう1度、机の上のコップのことを考えてみます。今度は、ガラスコップではなく、紙コップを例に説明します。

 

机の上にある紙コップを手にとって、机の右の方に移動させるところを想像してみて下さい。

このとき、ガラスコップを持つような力を加えてしまって、紙コップを握りつぶすことは、まずありません。

また、紙コップを持ち上げるときに、中の液体を空中にまき散らしたりもしません。

これらは、従来の考え方では、「過去の経験によって紙コップの強度や重さを知っているから丁度良い力加減で持ち上げられる」という説明になるでしょう。

 

これを、次のように考えることもできます。

 

(1)紙コップを見る

(2)記憶から紙コップの様々な情報を思い出し、感触や重さなどを伴った紙コップをイメージする

(3)創りだしたイメージを紙コップの実体に重ね合わせる

(4)イメージした紙コップを持とうとすると、結果的に、実体の紙コップを丁度良い力加減で持ち上げられる

 

次に、手に持った紙コップを右側に移動させて、紙コップから手を放したところを考えてみて下さい。

私たちは、普通、「紙コップを右に移動させた」と理解します。

そして、右に移動した紙コップを再び手に取ると、手を放したときと同じ感触を感じることになります。

 

ところが、手品のようなテクニックによって、気付かないうちに、ガラス製のニセ・紙コップにすり替わっていたとしたら、どうでしょう。イメージした紙コップの感触と、手にしたニセ・紙コップの感触のギャップに驚くことになります。

この驚きの理由は、紙コップの実体と一緒に記憶投影現実の中の感覚も移動していたために、実体から受ける感触と記憶投影現実の中の感触との間にギャップが生じたからだと解釈できます。

 

今度は、目の前の紙コップを見た後に目を閉じます。

協力者が音や仕草によって、その紙コップを右に移動させるような雰囲気を演出しますが、紙コップを移動させずに元の場所に置いたままにしておきます。

 

目を閉じたまま紙コップをつかもうとすると、紙コップが移動したと思われる方へ手を延ばすでしょう。

そして、紙コップを握りつぶさずに、中の液体もまき散らさないような丁度良い力加減でつかもうとします。

しかし、期待していた紙コップの感触が、そこに感じられないことに驚くことになります。

 

紙コップの存在しない空間で、あたかも紙コップが存在するかのような行動をしてしまうのは、このとき机の右に紙コップがあるように感じ、更に、その空間に紙コップからイメージされる様々な感触も合わせて感じているからだと考えられます。

 

これらのことから、紙コップを触ったときの感触は、紙コップという実体と共に移動することもありますし、実体とは無関係に、その感触だけが移動することもあると理解できます。

このようなことは、知覚現実とは無関係に、記憶投影現実の中だけで起こることです。

つまり、私たちは記憶投影現実の中では、感覚を物質と同じようなものとして扱うのは普通のことだと分かります。

また、「実体の移動」と「感覚の移動」がセットで起こらずに、どちらか一方だけが起こるのも、ごく普通のことだといえるのです。

 

余談ですが、連続性を保ちながら繰り返される記憶投影現実と知覚現実の入れ替わりの中に、テクニックによって非連続な現実を入れ込むのがマジック(手品)だといえます。

 

※実際は、人には、紙コップに触ったときの感触によって、力加減などを即座に調整する働きもあると考えられますが、説明が複雑になるので省略しました。

 

6-2 自分の中から生じる感覚の物質化

例えば、心の苦しさのような感覚も、知覚現実の中にオーバーラップさせる対象がないことを除けば、私たちに生じる感覚であるということでは、実体からの刺激によって生じる感覚と何ら違いはありません。

ですから、記憶投影現実の中で、実体の感触だけを物質として扱うように、心の苦しさのような感覚も物質のように扱えると考えられます。