心の苦しさと悩みを解決する記憶ネットワーク再構築療法

マニュフェスト

最近よく聞くマニュフェストという言葉。

その言葉から、季節がらなのか、なぜか小学校6年の夏休み前に先生に作るように言われた『夏休みのスケジュール表』のことを、ふと思い出しました。

「曜日別のタイムスケジュールを書いて提出すること」

当時、お利口さんをやっていた私は、起床時間以降ご飯の時間以外は勉強の予定をみっちり書いて、学校に持って行きました。

私は、なぜか勉強のスケジュールを書かないといけないと思い込んでいたのです。

ところが、学校で、岡田君のスケジュールを見せてもらうと、いつにどんなテレビを見るとか、いつ遊ぶとか、そんな内容ばかりが書かれていました。

(定かな記憶ではないのですが、宿題をする時間も、少しは書かれていたように思います。)

岡田君のスケジュール表は、私には「目からウロコ」的なものでした。

私は周囲(特に、親や担任)から期待されているだろうと想像したことばかりでスケジュールを埋めてしまいましたが、岡田君は普段の生活をベースにスケジュールを作っていました。

私は、一日中勉強ばかり出来るはずもなく、でも、自分の書いたスケジュールが発する力に縛られながら、すがすがしくない雰囲気の中で夏休みを過ごしたような気がします。

夏休みの宿題も、夏休みの終わり間際に必死に片付けました。

これは、自分の自然体をベースにしなかったから

  • 餅を絵に描き
  • 絵に描いた餅を食べようと努力する

という状態になってしまったということですね(>_<)

【参考】
【補足】 09-02. 誤った解決努力によって陥りがちな状態の中の『9-2-1.新しいことを初めても続かない』も参考にして下さい。

罠(わな)

「罠(わな)」というと、そこに悪意が含まれるような印象を与えるかもしれませんが、これから述べる「罠」には悪意はありません。

でも、悪意が無いからそれ気付き難く、余計に性質(たち)が悪いのです・・・。

それぞれの家庭には、それぞれの家庭の罠があると思うので、それを考えることは、これを読まれている皆さんにお任せすることにして、それを考える参考になればと、私の家庭に仕掛けられていた罠をひとつ紹介したいと思います。

【例(私の場合)】

私の母親は、「疲れた」とか「しんどい」とかいう言葉を、よく私の前で、口にしていました。

小さい頃の私は、そう言われると、「何かしなければならないのかなぁ~」って気持ちになって、「何か手伝おうか?」とか「ボクがやろうか?」とかいう事を言っていました。

でも、今から考えると、何をして良いか分からなかったり、どうしたら良いのか分からなかったり、本当はしたくないという気持ちになって困っていたような気がします。

で、私が言葉では、「手伝おうか?」と言うものの、実際には動かない私を、私の母親は「手伝う気も無いのに言うな!」と責め、責められた私は、それができない自分が悪いのだと、自分自身を責めたのでした。

簡単に表現すると、「言いたくないことを言わされて、それを言うと責められる」という罠にはまっていたということだと思います。

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魔法の言葉

私の上に、長い間覆いかぶさっていた言葉があります。

「おまえは、カホゴだから・・・」

この文章は、私の母親がよく口にした言葉なのですが、私は母親の使う小バカにした文脈から、「自分は、カホ子(かほご)という普通ではない人間なんだ」と、長い間思い込まされていました。

その言葉に疑問を持ったのが、中学生の頃だったと思います。

色々な言葉に出会っていく中で、世の中に存在する「カホゴ」という言葉は、「過保護」であるという事に気付いたからです。

「過保護」にされた対象は幼かった頃の私かもしれませんが、その行為の主語は『母親』です。

でも、その当の母親が、「過保護」という言葉を使って、自分が過保護の対象としている私を責めていたのです。

つまり、いわれの無い罪を、着せられ続けていたのです。

中学生になって、ようやく私は、その矛盾に気付き、指摘することができて、「自分はカホ子なんだ・・・」と思わされていた魔法の言葉の攻撃からは開放されたのでした。

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普通ではなかった家庭

前回にも少し書きましたが、誰でも子供の頃は、自分の家庭に不満があったとしても、そんな不満も含めて、家庭での全てのことを「当たり前」のこととして受け入れているように思います。

友達の家に遊びに行ったとき、その家のルールが自分の家庭のルールとは違うことに、違和感を感じたりすることがあるかもしれません。

それは、そんな「当たり前」が原因だったのかもしれません。

今回は、私が、子供の頃に「普通」と思っていた家庭が、今から振り返ると「普通ではなかった」と思えることと、それに関連したことを書いてみたいと思います。

私はこの章を、自分の過去に悩みの原因を求めている人が、

  • 自分がおかれていた環境にあったかもしれない「歪み」に気づくこと
  • 「そんな中で、そうせざるを得なかった過去の自分自身」を理解してあげること

の助けになることを願って書いています。

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普通の家庭

たぶん、ほとんどの人は、自分の家庭は「普通の家庭」だと思っているのではないかと思います。

ここでいう「普通の家庭」は、「母親と父親が揃っていて、金銭的に不自由が無く・・・」などということを指しているのではありません。

私は、「普通の家庭」かどうかは、「その家庭でどのようなコミュニケーションが行われていたか」ということで区別出来るのではないかと考えています。

(詳しいことは、また別の機会に書かせて頂こうと思います。)

さて、私の話ですが、私は、長い間、自分の育った家庭は、「普通の家庭」だと思っていました。

というよりは、「普通かどうか?」なんて、疑問すら持つことが無かったように思います。

自分にとっては、「それが当たり前」という感覚だったと思います。

もう少し説明すると、私が学生の頃は、「家庭崩壊」という言葉をニュースやワイドショーなどでしばしば耳にしましたが、「自分の家庭には無縁なことだ」と思っていました。

なのに、自分は、怒りの感情が抑えられなかったり、自分らしく自然に振る舞いたいのにそう出来難かったり・・・。

「自分は『変な人間』なのかもしれ ない」、つまり、「自分だけが悪い」、「自分の心は出来損ないだ」などというような気持ちで、自分を責めてしまっていたような気がします。

今から考える と、そんな説明になるのですが、その頃は、「理由も分からずに、ただ辛い」という感覚だったような気がします。

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