心の苦しさと悩みを解決する記憶ネットワーク再構築療法

トピックス:漠然とさせてしまった気持ち

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※「あなたにもある心を回復する機能」に掲載しているトピックスをご紹介しています。

人は、もともと自分自身の欲求を満たすために必要な事柄を具体的なこととして認識できているのですが、除外事項が多くなっていくと、次第に、具体的なことは考えられなくなってしまいます。

そのことについて説明します。

次のような状況を想像し、続く(1)(2)(3)の問いを考えてみて下さい。

自分のメニューと店のメニュー

その町には、スーパーもなく、コンビニもなく、唯一あるレストランに行くしか食事をする方法がありません。

何が何でも、そこで食事をするしかないのです。

(1) そのレストランは「どんな料理でも作れます!」という大風呂敷を 広げているのですが、何を注文しても「それはできない」と、ことごとく 断られてしまいます。どんな気持ちになりますか?

(2) 自分の好物(自分のメニュー)を好きな順番に注文していくと、 11個目の注文で、ようやく食事にありつくことができました。 そんなやり取りを毎日繰り返しました。 1ヵ月後そのレストランにやってきたあなたは、まず何を注文しますか?

(3) そんな日々を過ごしていると、ある日、店主はすごく嬉しそうな様子で、 「いつもおいしそうに食べてくれるから、あなただけのために、 特別な料理をつくったよ!」と言って、 あなたがどちらかというと嫌いな料理を出しました。 店主は、ニコニコ嬉しそうにあなたの食べる様子を眺めています。 あなたは、どんな気持ちになりますか?

■■ (1)のとき ■■

「何でも良いから食べさせてくれ!」といった気持ちになったと思います。

「認められたい」とか「愛されたい」といった言葉にも、これに近いニュアンスがあるのです。

■■ (2)のとき ■■

大体の人は、自分のメニューの1~10個目は無意識に飛ばして、11個目のメニューから頼もうとします。

「認められたい」とか「愛されたい」という漠然とした感覚には、注文用のメニューから外してしまった具体的な願いが隠されています。

この外したメニューは、一旦外れてしまえば、それ以降意識されることはありません。

心理の世界で用いる『無意識』とは、この外されたメニューのことを指すと考えています。

無意識は、「意識できない」、「意思ではコントロールできない」と一般的には認識されているようですが、たぶん、遺伝子的に伝わった情報以外は、意識しようと思えば、意識できないことなどないと思います。

ポイントは、意識か無意識かではなく、気づくか気づかないかです。

レストランのメニューや自分のために自分自身が作った注文用のメニューばかり眺めずに、自分がもともと持っていた自分のメニューを眺め直そうとすると、それに気づいていけるはずです。

■■ (3)のとき ■■

自分はそれを望んでいなかったのにそのように言われてしまうと、自分のことを大切にしてくれていると感じ嬉しい気持ちになると思います。

しかし、その料理自体は自分の望みではないので、嬉しいような嬉しくないような複雑な気持ちになると思います。

このように自分の望みの上位以外のものが与えられると、そのギャップによって、心にはモヤモヤ感が生じることにつながります。

この例から離れて一般的なことに話を移します。

心の苦しさを解決しようとして、自分の本当の気持ちや望みを考えようとするときに、大そうな気持ちや望みを見つけ出そうとして、なかなかそれを見つけられずにいる人は多いと思います。

また、愛されたい、認められたい、幸せになりたい・・・といった漠然としたことを本当の望みだと主張する人が多いように思います。

しかし、そのような漠然としたことばかりを願っていると、今の自分が本当に望んでいる具体的なことに意識が向かず、自分が何を望んでいるのかが、ますます分からなくなってしまいます。

お金持ちになりたい、出世したい、自分の会社を持ちたい、医師になりたい・・・というような望みは、先ほどの例よりも少し具体的です。

でも、そうなったら「何がどうなると思うから、そうなりたいと思っているのか」ということを理解していないと、それを実現してしまったら、また、別の目標を探さなくてはならなくなります。

私たちが本当に求めているものは、実は、そんなに大それたものではありません。

今望めば、今すぐ手に入れられるような、ほんのささやかなことです。

「ちょっとしたときに、ちょっとしたことで満たされる」、そんな経験を、人は人生の中で重ね続けたいだけなのです。

「愛されたい、認められたい、優しくされたい、何か良いことないかな・・・」という望みは、前回のメールで説明したように、具体的な望みを諦めざるを得なかった状況が長く続いたことで、自分の望みが分からなくなったときに仕方なく掲げる望みです。

もともとは、そんな漠然としたものを望んでいたわけではありません。

それが何なのかを自分が分かっていなければ手に入れることはできませんし、手に入れていたとしてもそれに気づくこともできません。

もし、自分のそのような漠然としたことを望んでいることに気づいたら、『今、誰に、どのようにしてもらったら、私はそれが得られたと感じることができるのだろう?』と具体的に考えてみて下さい。

今の自分が本当に望んでいることに気づけば、その望みを手に入れられるようになったり、既に手に入っていることは「手に入っている」と自覚できるようになります。

最後に繰り返します。

私たちが、本当の望んでいることは、「その時々に望めばすぐそれを手に入れることができる」そんなほんのささやかなことなのです。

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