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 ■■悩み解決マニュアル(2)■■ (第2章 悩みを解決する【補足説明集】)

この章は、悩み解決マニュアル(1)の補足説明集です。
悩み解決マニュアル(1)と合わせてお読み下さい。

9.本当の解決について改めて考えてみる

9−2.誤った解決努力によって陥りがちな状態

これから挙げる状態に陥っていると感じる場合は、これまで続けてきた解決への努力はひとまず休憩して、自分の本当の気持ちに意識を向けようとすることが大切です。

9−2−1.新しいことを初めても続かない

ただ単純に、新しいものが好きな場合は問題がないと思います。

しかし、新しい事をやっても、3日坊主的にそれを続けることが出来ないということを繰り返してしまう場合は、注意が必要です。それは本当にしたいということではなく、それをしたら、「もしかしたら、何かが解決するかもしれない」という漠然とした仮説のもと、取り組もうとしているのかもしれません。

もし、そうだとしたら、「何かをやっても続かない」という理解は誤りで、「やりたくない事を、無理に続けずに、きちんと止めることが出来た」と理解する方が正しいのかもしれません。

このような状態の時は、何もやりたいと思うことがないことを受け入れる事が出来なくて、漠然と何かをしなければならないような感覚に駆り立てられてられてしまっていることが多いように思います。

  • なぜ、やりたいことがないとダメだと思うのですか?
  • なぜ、楽しくないとダメだと思うのですか?

これらも、心の苦しみから抜け出そうと考えた、ただの仮説に過ぎません。

(※関連内容:第2章「11−1.「ある」「ない」という意識によって陥る錯覚」)

9−2−2.コンプレックスについて

コンプレックスがあるから苦しいと考えてしまいがちですが、本当は、コンプレックスがあるから救われていると理解した方が正しいところがあります。

また、コンプレックスには、決して解決されてはならないという役割さえあるのです。

普通、コンプレックスには、「それを解決すれば、きっと心の苦しみから開放されるだろう」と思える事柄が指定されます。

【例】

  • 容姿がもっと良ければ友達が出来て楽しく過ごせるのに・・・
  • 話すのがうまかったら人前で話すのを怖がらなくても済むのに・・・
  • もっと、お金があれば、幸せになれるのに・・・
  • もっと良い学校に行っていれば、良い仕事に就けるのに・・・

これらの例からもお分かり頂けると思いますが、コンプレックスは、心の苦しみを解決するために立てた仮説なのです。

つまり、コンプレックスがあるから苦しいのではなく、苦しいと感じているからコンプレックスを探し出すのです。

心が苦しいと感じているのに、その原因がわからないことは、普通に考えれば『解決しない』ということを意味しますので、もともとの苦しさに、更なる苦しみが付け加わってしまいます。

しかし、コンプレックスを持てば、「それを解決すれば、きっと苦しみから開放されるだろう」と希望をもつことができるから、今の苦しみの中で心が救われるのです。

はじめに、コンプレックスは決して解決されてはならないという役割を持つと書いたのは、本当の解決への道筋を理解するまでは、心が救われるために、コンプレックスは存在し続ける必要があるということなのです。

ですから、コンプレックスに意識が向いてしまっているときは、心に理由の分からない苦しみがあることを受け入れ、その苦しみから開放されるための、本当の道筋を理解し、自分の心と向き合えば、コンプレックスは自然に薄れて、最後には気にならない状態になるのです。

9−2−3.言うことがコロコロ変わると感じて理解できない

一概には言えませんが、「あの人は、毎回言っていることが違う」といった不満を感じてしまうとき、もしかしたら、『ある基準』が自分の中に存在しているかもしれないと疑ってみる必要があるかもしれません。

(※関連内容:第2章「9−3−1.人の心の中に出来てしまう『ある基準』について」、「9−2−4.オール・オア・ナッシング」)

 

(1)自分の課題の可能性について

相手が決めていることが毎回違うと感じる場合、自分自身の中にある何らかのこだわりによって、それ以外の部分を客観的に把握する事が出来なくなっているかもしれないということを疑ってみる必要があるかもしれません。

まず、その時々に相手が何を把握している事を詳しく知ろうとしてみて下さい。違いがあれば、その違いによって、その相手がなぜ判断が変えているのかを、理解しようとしてみて下さい。

そうすることによって、もしかしたら、今まで気付かなかった色々なことに気づき、理解できるようになるかもしれません。

そして、その気づきと理解は、自分の中の基準から、自分自身を解放することを、きっと手伝ってくれると信じています。

 

(2)相手の課題の可能性について

(1)での作業でも、相手を理解することが出来なかった場合は、もしかしたら、相手の人に、改めた方が良いところがあるのかもしれません。

しかし、相手の人が、それに気づき改めたいと思わない限りは、相手の人にそれを期待しても無理なところがあります。

そんなときは、そうならざるを得ない相手の背景を理解しようとすることは、あなたが相手の言動にそれほどこだわらなくても済むようになることを、きっと手伝ってくれると思います。

9−2−4.オール・オア・ナッシング

感情や感覚や考えに差異があったとき、どちらか一方を選択するようなコミュニケーションに長くさらされていると、自分の中で感情や感覚や考えに混乱が生じてしまいます。

自分の表現するものが選択されなかったとき、不満な気持ちになってしまうだろうと思います。

しかし、その不満を表明しても、父親や母親の強固な姿勢によって、それが押さえつけられるとき、自分自身の感情や感覚は、その家庭の中で安心して過ごす為には、全く当てにならなくなってしまうのです。

そして、自分の感覚や感情を頼りに行動するという当たり前のことができなってしまいます。

こうして、相手の基準を自分の中に取り入れて、それを規則として守ることで、家庭に適応していかざるを得なくなるのです。

気分によって反応が変わる相手と長く過ごす場合も行動のよりどころとなる規則が必要となってきます。

つまり、オール・オア・ナッシングとは、自分の感覚や感情ではなく、他の誰かの感情や感覚に合わせようとしている状態ということができるのです。

(※関連内容:第2章「9−3.人の心にできてしまう『ある基準』について」)

この種の感覚があると、人と長く時間を共に過ごさなければならない状態になったとき、次のような傾向が現れることが多いと考えています。

  • 過去の家庭での基準を、違う相手とのコミュニケーションにも当てはめようとする
  • 相手の反応によって、自分の行動の基準を作ろうとする
  • 意見等の食い違いが発生した時に、規則を作ることで解決しようとする
  • 過去の取り決めに意識が向いて、時々に異なる様々な状況に気付きにくくなる
  • 取り決めを守る事を、相手にも強く要求する
  • 規則が曖昧だと、どのように行動して良いか分からなくなるため、不安定になる

そして、これらの傾向から、「言った/言わない」「前はこうだったのに、今度は違う」「あなたは、言うことがいつも違う」といった議論に陥り易いようです。

繰り返しになりますが、これは自分の感覚や感情が当てにならないと錯覚してしまったために陥ってしまった状態です。

ですから、そこから抜け出すためには、自分の感情や感覚を当てにしても良いということを思い出していけば良いのです。

こんなときは、形容詞や副詞を与えられるのではなく、自らが割り当てる練習をすることは役に立つかもしれません。

コツとしては、考える前の直感を大切にしようとしてみて下さい。

余談ですが・・・

洗脳という言葉があります。強制的に監禁され洗脳されるような場合は別ですが、自らそのような集団を求めてしまうことがあるのは、規則が無い事による不安定さから逃れたくなるからなのだろうと思います。

つまり、そのような団体に洗脳される前に、既に家庭の中で洗脳される準備は整ってしまっているのかもしれないと、私には思えるのです。

9−2−5.話が合わない

本来、自分が興味が無いと感じているときは、興味が無くても何ら問題は無いありません。

にも拘らず、興味が無いということが、悩みにつながってしまう事があります。

これは、「興味を持たなければならない」と考えて、興味が持てないことを問題としてしまうから、興味がもてない自分を責めたり、くだらない話をする人たちだと相手を責めたりするような状態です。

このような時は、興味を持ったら何が解決すると考えているのかを見つめ直すことが大切です。

「興味のある話」に意識が向いてしまっていますが、別に、興味のある話とお友達になりたいと願っているわけではないだろうと思います。

本当のところは、『意識している人と仲良くなりたいけど、仲良くなっていないように感じて困っている』ということなのだろうと思います。

つまり、興味があるのは、話の内容ではなく、その話をしている相手の方だということで、願っている事は、興味のある相手と心地良い時間を共有することなのです。

9−2−6.自分が無い

悩み込んでいるとき、自分が無いと感じてしまうことが多いかもしれません。

「自分がここに存在している」ということは、紛れもない事実であるにも関わらず「自分が無い」と感じてしまうのは、なぜでしょうか。

それを理解するヒントは、その人がネガティブと考えている感情への対処の仕方に隠されています。

例えば、「学校に行きたくないと感じるのは、自分の心が弱いからだ」と考えてしまうとします。「自分が学校に行きたくない」と感じているのですから、誰が何と言おうと、それは自分にとって一番確かなことです。

しかし、現代社会においては、「心が弱いから行きたくないと感じるんだ」と、自他共にその気持ちを覆い隠そうとする傾向が強まってきているような気がします。

そこに「学校に行きたくない」と感じる自分が確かに存在しているのに、それの気持ちを否定してしまうと、あるものを無いことにしてしまうのですから、「自分が無い」という錯覚に陥ってしまうのは当然のことなのです。

ネガティブな感情に直面すると、例えば、「自分は強くなるんだ」と決意することで、解決を図ろうとしたりします。

もちろん、そのような決意が新しい経験につながり、解決してしまえば、その決断は正しかったと言えるかもしれません。

しかし、多くの場合、自分自身の本当の気持ちにフタをするということによって、自分の気持ちのないところで行動したり、人と会話したりすることになり、次第に、自分らしく生きられないような不自由さが大きくなったり、自分にまとわりついた疎外感や孤独感に苦しむような状況に陥ったりしてしまうのです。

ここではネガティブな感情を中心に説明しましたが、嬉しい・楽しいなどのポジティブな感情を否定しても、同様の状態に陥ってしまうことになります。

(※関連内容:第2章「7−1.「感じること」こそ自分自身である」)

9−2−7.「人に厳しく、自分に甘い」はウソ

「人に厳しく自分に甘い」というのはウソです。人は、自分に厳しい事は、他人にも厳しい。また、自分に甘い事は、他人にも甘いのです。

ただ、人それぞれ意識の向いている方向が違います。例えば、上下関係に厳しい人と、整理整頓に厳しい人が共に過ごすと、お互いに、相手の事を、「あの人は、人に厳しく自分に甘い」という錯覚に陥ってしまう事があるのです。

9−2−8.自分はつまらない人間

自分が嬉しい時に、一緒に喜んでもらい足りなかった事による感覚ではないかと考えています。

自分自身の望みに従って行動し、そして、自分が期待していた結果を得ることができたとき、嬉しい気持ちで心が満たされるだろうと思います。

しかし、自分のとって大切な人が、それを一緒に喜んでくれなかったら、はじめに感じていた喜びは少し萎んでしまうだろうと思います。

そんな経験を繰り返す中で、「自分の嬉しいことは、喜んでもらえない」というような孤独な雰囲気につつまれていくのだろうと思います。

そして、「自分の嬉しいことを話しても仕方がない」という思いが、自分自身が嬉しく感じるだろう行動をも制御する方向に働いてしまうようになるのではないかと思います。

(※関連内容 第4章 「3−2.子供の感情との向き合い方」)


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