心のマニュアル
■■悩み解決マニュアル(2)■■ (第2章 悩みを解決する【補足説明集】)
この章は、悩み解決マニュアル(1)の補足説明集です。
悩み解決マニュアル(1)と合わせてお読み下さい。
3.悩みから必ず解放されると信じる
3−1.世界観について
3−1−1.世界観とは
人が今この時をどのように生きているかを考えてみます。
自分が生きている世界を、自分が理解できるように体系付けて、自分が体系付けた理解の中で生きている
表現を変えると、自分が生きている世界のルールなどを自分なりに理解するから、その中で、考え、そして、行動できるということです。
例えば、お店の商品が欲しいとき、普通は、「お店の商品は、お金を支払うことで自分のものにすることが出来る」という社会のルールに則って行動します。
もし、そのルールを知らなかったら、どうしたら良いか分からず行動出来なかったり、お金を払わずに商品を自分のものにしてしまって、本人には悪意が無くても、周りの人から「反社会的な行為だ」と非難されたりする状態に陥ったりするだろうと予測できるのではないかと思います。
この自分が体系付けた理解が作り出す感覚(雰囲気)が『世界観』です。
3−1−2.世界観に差が生じる部分・・・『人間観』
一般的には、世界観は誰にとっても共通だと思われがちなところがあります。
もちろん、学問や現代社会の常識や法律のように、共通に認識できる部分が多いから、私たちは社会の中で大きく混乱せずに暮らせているのですが、人によって様々な違いが生じている部分も存在します。
そのほとんどは、それぞれの人が経験した人間関係の記憶の違いによって生じ、この違いの部分が、楽しい人生や苦しい人生といった人生に対する感じ方の違いとなって表れると考えています。
この違いの部分を『人間観』として表現することにします。
他の人と同じと思える状況でも、その人の人間観の違いによって、気持ちの差異が生じるのです。
3−1−3.世界観の構造と価値観
3−1−3−1.世界観の構造
世界観は、次の部分から構成されると考えています。
- 客観(社会的共通認識と誰が観察しても同様な認識となること)
- 価値観(感情や感覚を伴った客観)
- 主観(感情)
(客観の背景には、別の次元で『真実』というものが関わってくるのですが、話がややこしくなるのでそこは除外して考えていきたいと思います。)
客観は、学問として体系付けられている事を勉強したり、様々な情報を知識として蓄えながら、自分自身の努力だけでも比較的容易に修正・補強されていきます。
また、取り入れる情報量によって差異は生じるものの、「悩み込まない人生」について考える上では、それほど重要ではないと考えています。
しかし、価値観は、コミュニケーション以外で修正されることは難しく、また、主観の混乱はコミュニケーションによって引き起こされるので、その修復にも、コミュニケーションは不可欠だと考えています。
3−1−3−2.価値観について
客観と感情を結びつけるのは経験です。人は様々な経験を通して、何かを感じ、そして、それを感じた場面や状況と、その時に生じた感情や感覚を結び付けて、価値観として記憶していきます。
少し哲学っぽくなってしまいますが、この世の中の色々なことは、どのようにでも理解できることばかりで、理解しようとせず放っておけば、実は区切りの無い一つのことだという面があります。
そんな中から、私たちは自分が意識したことや、他人から意識させられたことを切り取り、そこに意味付けをしながら生きているのです。
例えば、「人は空を飛べないんだよねぇ〜」と誰かが考え込んでいても、「そんなこと気にしたことも無かった!」反応するような感じです。
「空を飛ぶ」ということを切り取って意識しなければ気にもならない、つまり、「飛ぶ」ということを意識するから、「飛べない」ということが問題になってしまうのです。
もともとひとつのことを人々が共通に認識できるように、色々なことに分割して名前が付けられていきますが、そのように付けられた名前自体に心が反応することはありません。
しかし、我々は、色々な経験をし、色々な自分自身の感情を体験し、その感情として自分自身が認識した事象が結びついたものを、自分自身にとっての価値観として蓄積していきます。これが、自分自身が価値観を生み出す流れです。
例えば、鳩を見ても、それが鳩というだけで、それ以上の意味を持ちません。
しかし、過去に、鳩に大きな糞をかけられたような経験があると、「鳩は嫌い!」というように、自分にとっての意味をもつような感じです。
これとは別に、外から与えられる価値観もあります。
(※関連内容:第3章「人間観のベースを身に付ける流れ」を参照)
例えば、「男は、こんなことくらいで泣くものではない!」といった感じに、本来は泣こうが泣くまいが自由なはずなのに、親や他の誰かから聞かされたことを、自分が望む・望まないとは無関係に信じてしまっていることです。
価値観から客観の部分と自分の感情の部分、或いは、2次的感情の部分を分離していくことが出来れば、その価値観に縛られることなく、その時々の自分の感情や感覚に自分の心を任せることが出来るようになるのだろうと思います。
(※関連内容:第4章「3−1.感情の混乱」)
3−1−3−3.主観の混乱について
例えば、テストで100点をとって大喜びしていたら、親から「そんなテストで100点取ったくらいで調子に乗るな!」と酷く怒られてしまったところを想像してみてください。
自分にとって嬉しいという感情は、その次に起こった出来事によって打ち消されて、辛い気持ちになってしまうと思います。
そして、100点を取ったということが、自分にとって良いことだったのか悪い事だったのかが分からなくなってしまい、このような経験を繰り返しているうちに、100点をとっても嬉しくないと錯覚するようになってしまうと考えています。
このとき、1次的感情は「嬉しい」というもともとの感情で、2次的感情は親に怒られることによって感じた「辛い」という感情です。
主観の中の2次的感情に気付き、それを排除していく事が出来れば、本来の感情が自由を取り戻していく、つまり、自分にとって嬉しいことを嬉しいと思えるようになっていけるのだろうと思います。

3−1−4.規則を作りながら世界を理解していこうとしてしまうこと
これは、自分の感情や感覚を曖昧にしてしまっていることで、自分にとっての価値観が定まらないときに取られる対処方法だと考えています。
不自由さを感じる生き方として代表的なものに、規則を見つけたり、作り出したりして、世界に適応していこうとするものがあります。
これは、自分の感情・感覚などが当てにならないという錯覚によって陥ってしまうと考えています。
自分の感情や感覚が確かでないと錯覚してしまうと、何を頼りに行動したら良いのか分からなくなってしまいます。
そこで、行動するにあたって守るべきルールを発見し、それを守る事でしか環境に適応する方法がないように無意識のところで感じてしまうのです。
辛い気持ちになった時に決まりを作ることになるので、『根に持つ』と呼ばれる状態に陥り易いように思います。
この状態に陥ってしまうと、自分が感じたり考えたりする度に、誰に何を言われる訳でもないのに、自動的に「得体の知れない何か」に否定されるように感じてしまうところがあるので、その自己否定感が生きる苦しさにつながってしまうのです。
また、規則があいまいな場面に身を置くと、これまで頼りにしていた規則という行動の基準が無くなってしまうわけですから、自分自身が無いと感じるような不安定な状態となり、苦しさを感じることになってしまいます。
そこで、自ら規則を作り出すことで、自分が適応できる環境を作り出していこうとするのです。
しかし、この規則は、本人にとっては、環境を調和させるために作り出すものなので、回りの人にもこの規則を守ることを求めるようになります。
もともと、その規則は本人が望んでいたものではありません。
つまり、本人もその回りの人も望まないことで、本人も回りの人みんなが縛られて、心のまま(良い意味で)に過ごすことが出来なくなってしまうのです。
また、調和によって安定するのではなく、決まりによって、自分を抑えることで調和しようとするので、一人きりになってクールダウンする時間が必要になる事も多いかもしれません。
余談ですが・・・
もともと世界はあいまいなものなのですから、細かな規則を決めながら過ごそうとすると、回りとの軋轢が生じ、新たな苦しみが加わってしまうことになります。
そこで、既に規則が定められた社会や集団に身を寄せるという手っ取り早い方法を選ぶこともあります。
そんな状態を、私達は「それらの社会や集団によって洗脳された」と理解することが多いようですが、もしかしたら、「洗脳される前に、家庭の中でその基盤を作ってしまっているかもしれない」ということを疑ってみることも必要かもしれません。
(※関連内容:第2章「7−1−1.ネガティブな感情について」)
もう1つ余談ですが・・・
規則によって世界を区切りながら適用しようとすることが多いと思いますが、自分を区切る事で適応しようとする方法もあり、それが多重人格と呼ばれている状態なのかもしれないと思います。
3−1−5.「自分と他人は同じと思うこと/自分と他人は違うと思うこと」の認識の混乱
(1)同じと思うこと
このとき、『同じ』と思っていることの対象は、『世界観』を指していることが多いです。
同じと思うと、他人が楽しそうにしていて、自分が苦しいと感じていたら、最も曖昧な部分、つまり、『心』に原因を求めるしかなくなってしまうことは、とても理解できるような気がします。
(2)自分と他人は違うと思うこと
このとき、『違う』と思っていることは、『心』を指していることが多いです。
同じと思うと、自分が正しいと思っているときは、他人を責めてしまいがちになったり、他人が正しいと思っているときは、自分を責めてしまいがちになるのは理解できると思います。
- 全ての人の心は、問題など存在しない大切な心(同じ)
- それぞれの人がそれぞれの場面で何を感じるかの差は、これまで経験してきた背景によって生じる(違う)
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